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2005-04-18(Mon)

長くなった!

桜の見頃も過ぎ、今年も桜の花の下でお弁当を広げられなかったと思うビラクです。

さて昨日は法事で父方の実家へ行きました。

車の運転を久しくしてない私。
少しは慣れておかなければと思い、運転役に名乗りをあげました!

運転は苦手でほぼ2年程運転席に乗ることは無かったのです。
と言っても運転はそこまで下手な訳ではないと思うんです。
地理が不得意な私にとって、移り変わる地形と走行方向、つまり風景と進むべき方向が頭の中でリンクされてないので混乱し運転にあたふたしてるだけなんです。
つまりどっちに行けばいいか分かんないんです!

しかしカーナビの活躍によりそのお悩みも大部分が解消されます。
交差点ではどっちに行けば良いか音声と画面が拡大してビジュアルに教えてくれます。
ただずっと画面を見てられないのでやはり恐さが残ります。
さらに『700メートル先を左です』『まもなく左です』と言われても距離感が分からないです。
おかげでうちのカーナビさんのルート再検索はほかのそれに比べて高確率で動作してるんではないでしょうか。

そんな道中でしたが、めずらしく道を間違える事無く目的地へ到着。
慣れればなかなか楽しいものです。


さて、メインの法事なんですが、今日はお寺でしてもらいます。
しかし希望日時が重なった別の方々もいらっしゃるようで合同のお経に。
FFで言うとアライアンスを組むみたいなもんですか?
えと、時間になりました。
別PTの方来ません。
お坊さんとこちらのPTで少し待ってたんですが来ません。
このお寺のお坊さんは他にもお寺を持ってるので、もしかするとその他のお寺に別PTは行ってしまったのでは?という推論で落ち着き、お経は始まりました。

お経が終わり、最後にお坊さんからの説教があります。
普通、説教と言えばお題目(なむーとか唱えるやつね)を唱えれば死後に天国へ行けますよって感じの事を説教されるんだと思いますが、このお坊さんはいつも違うんです。
どんな説教かと言うと、そのお坊さんの身近な話、
特にシステムの話をしてくれます。
何経は誰に祈りを捧げるとか、明治までは神式も仏式も一緒だったが他国を見習い一宗派制に分けたとか‥‥‥へぇーボタンを押さなきゃなんないような説教なんです。

もちろんそれだけでは無く、お題目の事も宮沢賢治の話も交えてされてました。
また、戦後の教育制度による現代人の信仰心離れもながながと。

さて随分と長くなりましたが、この現代人の信仰心なんですが、私には信仰心が欠片もないんです。
小さい頃から親と一緒にたびたびお墓参りに行ってましたし、クリスチァンの幼稚園で毎日何度もキリスト様にお祈りを捧げてました。
こんな環境で育った人はきっと信仰心の高い人になるはずです。
その後の環境が著しくおかしかったのか、今ではまったく信仰心がありません。
それが神様や仏様というのだけではなく、ご先祖様にもです。
こんなことを言ってしまうと、非難されてしまうかもしれませんが、お墓参りや法事の必要性も理解できません。
ご先祖様がいなければ、今の自分や、ひいては今の世界はありえない。だからご先祖様に感謝しましょう。という事はわかります。
ですが、故人は故人。いない人を崇めてどうなるんだ。というのが率直な考えなのです。

さてさて皆様はどうなんでしょう?とここまで読んでくれる人いるのかな(*'-')

(´_ゝ`)自分でも読み返したくもないですが・・・

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コメント

故人のことを思い出すという意味もあろう
崇めるだけではなく懐かしむ まぁ顔も知らん人の墓参りはよくわからんてのはあるけどな こういうのは崇めるんじゃなくて鎮めるってのが目的だと思うだがどうなのだろう

こんなのにコメントくれてありがとう!

ふむふむ
でも思い出す懐かしむ為ってのもあるかぁ
でも忘れちゃうほどの関係だとお墓参りてもっとどうでも良いような感じがするけどなぁ

霊を鎮めるってのはお祭りとも関係あるよね
でもそれは考え方としては納得したけど、カルト的なものと混同してしまう
と言っても外国には日本で言う神官(?)、エクソシストが公的に除霊するような風習もあるね
考え方としては理解できても、個人的には理解できないなぁ

韓国に居た時ミッション校だったので(経験に)良い機会だとよく教会に通った。
そのときおもったのはすーーっごい偏見を承知で言うけど
毎週の教会ってのは「若い人が出会う合コン場」っぽい
機能もあると分析したんだよね。
(神聖な場だし、それが目的では無いのは勿論です)

そういうのを踏まえると、日本の法事等は
ご先祖様&故人を敬うという目的
+ 生きている人達が定期的に会う機会を作る機能
てのもあるとおもふー。

友人から聞いた話だが「葬式は死んだ人ではなく残された人の為にやる」

いいえて妙
極論で言うと自己満足なんだけど
そういう感情があるからこそ人間なのだろう

死んだら体はなくなるが精神(情報・思想)は残る。
みたいな話がありますが、法事や葬式は、まさしく、精神(情報・思想)を残す作業なのではないですかね~?思い出す作業を使って。
模倣子とでもいうのか?

ただ時代が変わってしまって、精神(情報・思想)は、ペーパー化・デジタル化されて残されてしまうので思い出す作業が簡単になり、情報に関する評価も、蓄積された知恵よりも最新情報が良い(そうとも限らないですが…)とされるので、行事を行う事のメリットが下がったのかもしれません(思い出せない人はどうでもいい。みたいなコメントからもそんな感じがします)。それと共に信仰心が下がったかもしれないですね。

ま、そんな事考えずに、ご先祖は敬いますがw

難しいこと解んないっちゃw
でも故人を思い出すってのにはいいイベントだね。
いやだった人は思い出したくないけど・・・・w
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